2007年12月5日水曜日

丁衍庸の鶴

友人の結婚式に出席するために訪れた香港。

空き時間にあまり触れたことのない中国の美術作品に出会うため、「香港藝術館(Hong Kong Museum of Art)」を訪問。

中国絵画、書画が数々展示されていたが、初めて真剣に向き合ったこともありなかなか心にとどまる作品が現れず、館内をうろうろ。。。

そんな中、足が止まったのが
・丁衍庸 氏 の『鶴(1978)』

中国では昔から、白鶴は、神様の乗り物として仕える不死の生き物と信じられている。
その鶴が、とても身近に感じることができた『鶴』は、飾り気のない現実や親しみを感じることができた作品だった。

他にも彼の作品を触れてみたいのであれば、陳其寬 丁衍庸雙人展のサイトへ。

2007年11月19日月曜日

中西信洋氏のレイヤー・ドローイング

六本木ヒルズの森美術館で開催されている「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展を訪問。
今見せるべき36作家を厳選して展示していることもあり、刺激ある作品が数多くとてもエンジョイできた。

特に脱帽したのは、中西信洋氏の「レイヤー・ドローイング」
展示内容は、六本木ヒルズの展望台から、一定の時間間隔で夜明けを撮影し、それらのフィルムを曲線を描きながら等間隔で並べ、重ねて見せる作品と、35ミリのポジフィルムに、透明な背景で時間をずらして写し取った針金やお茶の葉、ワゴムや胡椒やアイスクリームや焼跡を、それぞれ24枚ずつ重ねた作品。

一枚一枚の写真は切り取られた時間であり、それを並べることにより、時間が過去から未来へとつながっているととらえることができる。あるいは、並べられた作品を横から見ることにより、一瞬一瞬は独立した時間であり、脳が勝手に記憶を並べただけであり、存在するのが今一瞬だけともとらえることができる。
この時間に対する表現は色々考えさせられることがあり、心底感動した。

それと、モノづくり大好き人間としては、榎忠氏の作品「RPM-1200」が好きだ。
旋盤で磨き上げられた無数のスクラップの機械部品で構成される造形物。増殖していく未来都市、あるいは生命の脈動を想像させる作品。
この作品とともに日本のモノづくりを応援したい。

2007年10月14日日曜日

小松誠氏のクランプルタンブラー

ふと立ち寄った銀座松屋で、目に留まったモノ。
それが、小松誠氏のクランプルラタンブラー。

MoMAのパーマネントコレクションにも選定されている“クランプル”シリーズは、偶然つくられる紙袋の折り目やシワの凹凸をガラスというマテリアルを使って表現した作品である。

ガラスでつくらタンブラーというと、規則性や安定した形状を思い浮かべるが、そこに不規則性や不安定さ偶然という面白みを加えた作品で一目で気に入り二つ購入。

ちなみに、お店の人いわくクランプルラタンブラーはもう10年以上のロングセラー商品。未だに人気があるそうだ。
時代を超えたデザイン、モノとはこのような作品をいうのだろう。


今日は、クランプルラタンブラーでアマレットの香りを楽しみながら、Frank Sinatraの「Songs for Young Lovers / Swing Easy!」を聴こう。


購入したい人はこちらのサイトで。METROCS
小松誠氏のオフィシャルサイトはこちらで。MAKOTO KOMATSU

2007年8月30日木曜日

デザインによる「EMPTINESS」の世界

なんとなく手にした本、原研哉さん著書「デザインのデザイン」。

そこで、無印良品の一枚のポスターと出会う。

コンセプトは「EMPTINESS(エンプティネス)」。
原さんの説明では”「からっぽの器」という意味で、コミュニケーションの際にこちらからメッセージを発信するのではなく、相手が持っているメッセージを受け止め、それを受け入れていくという考え方”だそうです。

それを表現するために完璧な地平線を目指し、南米ボリビアの「ウユニ」の塩湖へ。
そこには四国の半分ぐらいの面積のまったいらで真っ白な塩湖が。
そこで5日間の撮影の結果がポスターが出来上がった。

たった一枚のポスター。確かに写真には、ある瞬間が収められている。しかし、人の記憶にその映像が埋め込まれると永遠の時をえることができる。
後は、妄想をするタイミングで記憶に収められた地平線の景色を料理するだけである。
どこにも逃げ場のないこの地平線にどう向き合うかは自由である。
たぶんそれが「EMPTINESS」なのだろう。
私は、精神を溶け込ますキャンパスとしてこのポスターの映像を使いたいと思う。

本の中では、水のエリアの鏡面の地空も印象的だが、どこか夢のように美しすぎて大地のリアリティがない、と記述され「白い台地に雲ひとつない青空」のポスターしか掲載されていなかったが、実際は鏡面のポスターも存在しているみたいだ。

2007年8月24日金曜日

エントロピーの法則を補うもの

高校物理でエントロピーの法則を学んでから、宇宙を支配する絶対的法則として捉えていた。
秩序から混沌へ、その流れは一方通行で不可逆。
それが、息としいける物を支配しているのだと考えていた。

が、最近読んだ「禅的生活」でその考えは脆くも崩れ去った。

混沌からの秩序への流れが存在する、そうした考えを提唱した人がいたのだ。
プリコジン、散逸構造論でノーベル賞をとった大先生。(勉強不足で恥ずかしい限りです。。。)
プリコジンは、わずかな確立ながら、自然現象のなかにはエントロピーの増大(無秩序率の拡大)に逆らって再結晶化(秩序化)する分子運動もあるのではないかと考えた。
そしてその可能性を「ゆらぎ」と定義した。

プリコジンについては今後勉強するが、「ゆらぎ」を内包した世界。
それが現実的な世界ということなのだろう。

2007年8月22日水曜日

ルネ・マグリットの世界感

シカゴ美術館の続き。

ルネ・マグリットの作品は何品か展示されていたが、以前から気になっていた、「Time Transfixed」を紹介。

実際、ゆっくり眺めてみると暖炉に吸い込まれる汽車の煙、汽車の影、そして時計の指す時間が気になって仕方がなかった。

暖炉には発生した煙を屋外に出すために煙突とつながっている。(サンタクロースが進入する道である)だから、汽車から出ている煙が暖炉に吸い込まれるのは違和感がないのだが、暖炉からだいぶ飛び出した状態を考えると、煙がすべて吸い込まれるのには無理がある。(そもそも、汽車の存在に違和感を感じるかもしれないが)

また、汽車の影。なぜか、次元が違うのか汽車の影だけ角度が違う。だからいっそう汽車が引き立つ。影が汽車の存在を証明しているのだ。

そして、時計の指す時間。12時43分をさしていると思われる。個人的には12時34分にして、12:34!!だと気持ちがいいのだが、12:43なのである。なんともいえない時間である。

このように、正解の無いコトを考えるのは面白い。(ほんとは正解があるのかもしれないが)
これが本当の自由なのだろう。自らに由る(由来する)自由がそこにあるのだ。

ちなみに、ルネ・マグリットの作品は他に、
「Empire of light」と「The Great Family」が大好きです。



2007年8月16日木曜日

イブ・タンギーの世界

シカゴといえば、シアーズタワーではなくシカゴ美術館。
ということで、シカゴに訪れたタイミングでシカゴ美術館を訪問。素晴らし作品の数々と出会った。

まずは、イブ・タンギーの作品紹介(Untitled,1940)。
彼の作品は無条件に好きだ。
個人的な感覚(解釈)だが、彼が描く絵画には時間の流れが感じられない。
荒涼とした大地か砂漠かよくわからない空間に、無機物か有機物だか得体の知れないものが存在し、それと、何を暗示しているかわからない直線が存在している。

その世界を見ているのが心地いいのだ。
自分の頭の中にある知識と経験という記憶をイブ・タンギーの描いたキャンバスに重ねるのはとっても 刺激的である。
なんだが、自分の脳の中に新たな世界が作り出されていく感じだ。

今回の出会いでは、作品の中の直線がとても気になった。
なぜかというと、飛行機に乗っているときにアメリカの大地を見ると、道路、建物など人工的なものには直線が存在するが、河川、大地など自然的なものは曲線しか見当たらないのが気になった。雲の上から見ると、人間が地球に、直線的な落書や、いたずらをしているように見える。
もし違う生物が地球を支配したらどうなるだろう?直線は消え去るのだろうか?そんなことを考えていたため、"直線=人間活動の象徴"に思え、直線に敏感になっていたのだ。
(ちなみに、鉛筆で風景画を描く時、建物などの人工物を描く時、直線を利用することが一般的)

今回は、絵の中の直線に人工的なにおいを感じた。
これは超現実における人間の活動軌跡なのではないだろうか?
そんなことを考えながらシュルレアリスティックな世界に思いを巡らせた。

2007年8月15日水曜日

Fortune Cookie

チャイニーズレストランで料理がすべて終わった後に出されるものに、
中に占いの紙切れが入っているお菓子「Fortune Cookie」がある。

この前、その紙切れに
More art in your life at this time will help you feel better.
と書かれていた。

素敵な言葉との出会いでした。

2007年8月14日火曜日

DEVIL'S ROPE MUSEUM

Route66の道中、世界で唯一存在する有刺鉄線のミュージアム、「DEVIL'S ROPE MUSEUM」を訪問。

有刺鉄線というと刑務所や休遊地を囲う鉄線で、誰しも小さい頃に痛い思いをして、ダークなイメージを持っている気がする。

でも、実際はアメリカで放牧していた牛や馬を管理するために発明されたもの。
(その結果、カウボーイはその職を失ってしまったのだが。。。)
そんな歴史を紐解きながら有刺鉄線を眺めると、新しい魅力が迫ってくる。




形状も豊富に存在し、並べてみると芸術的オブジェクトだ。(約2,000種類も異なる形状が存在)

生物に対して威圧するその存在感は、形状ごとに異なったオーラを発している。

仕事に失敗して一人になりたいときに放つ"ほっといてくれオーラ"と、なにかに集中したいときに放つ"じゃまをしないでくれオーラ"とでは、有刺鉄線の形状で表現する場合、どれになるのだろう?
そんな考えに耽れる場所でした。

ちなみに、「DEVIL'S ROPE MUSEUM」では有刺鉄線の標本が購入可能。

2007年8月13日月曜日

DesperadoとRoute66

今年の夏はシカゴからロサンゼルスまでRoute66をドライブした。
走行距離、約4500km。(途中グランドキャニオンに寄り道をしたが。。。)

なぜ、Route66をドライブすることになったのか、
それは、スカパーで放映されたROUTE66-栄光と哀しみのマザーロード-[全13回]に偶然(必然?)出会ったから。

そして、その番組のオープニングテーマが、The Eaglesの「Desperado」。

~何もない荒涼とした大地に 一本の道が走る
駅馬車が駆けた荒野を やがてT型フォードが行く
華やかなりし モータリゼーション
西へ 人々は大いなる移動を始める
砂漠の中に 給油所ができ モーテルが建ち ダイナーがオープンする
教会よりも先にドラックストア生まれ 町となっていく
誰の顔にも笑顔があった時代~
とのナレーションの後ろに「Desperado」がかかっていた。

今回の旅のテーマソングは「Desperado」。
「無法者」あるいは「ならず者」と訳されるDesperadoには、時代に流されず己が道に進んだ時代のはみ出し物の姿が浮かぶ。
それを追い求めてみよう。そう思いハンドルを握る。











そして、たどり着いた地、最西の地はサンタモニカ。
今は有名な観光地になっているため、世界中から人々が集う。
観光地のため明るく、華やいだ雰囲気だ。
はるばるシカゴから車を飛ばしてきた人などいない。
1人だけ醸し出す空気が浮いている気がした。

なんとなく歩いた、サンタモニカピアの桟橋。
最先端のところまで歩いていくと、突然あの曲が聞こえてきた。
そう、「Desperado」 。

たまたま、ストリートパフォーマンスの人が演奏し始めたのだ。
なんという、偶然だろう。
身震いがした。

久々に心の底から震えた瞬間だった。
たぶんあの瞬間は、一生忘れないだろう。

そう、時代に逆らって己が道を行く、「Desperado」を自分の中に見つけた瞬間は。

2007年8月4日土曜日

Two Majesties

ミルウォーキー美術館からもう1作品紹介。

Jean-Léon Gérôme 氏の「Two Majesties」

私がロマンチストであることがばれてしまうかもしれないが、、、(ちなみに男は皆、ロマンチストだと思うが)、
地平線まで見渡せる壮大な自然の中、沈み行く夕日を見つめている一匹のライオン。百獣の王が夕日に向かって何を思うのか、そんなことを創造すると楽しくなる作品です。

きっと、今までの出来事を振り返り、そして、これから進むべき道について自然に問いかけているのではないだろうか。
自然と向き合うと、どんな存在も小さく映る。そんな世界で自分を見つめなおしてみたいものです。


ちなみに、ライオンの凛々しいアップも追加。

2007年7月30日月曜日

ピサロが描く自然

仕事でアメリカのミルウォーキーにきているので、
週末を利用してミルウォーキー美術館を訪問。

訪れてみて、建物が余りにも近代的かつ洗練されていて驚いた。
外壁も、内壁も白一色。張り巡らされたガラスから外光が入り込み、いるだけで神経が研ぎ澄まされていく気がした。

今行われているエキシビションはピサロ展。
正直、個人的には印象派はあまり好みではないが、なんとなく白い壁に飾られたピサロの絵に囲まれたい気分になり中へ。

ピサロはモネ、ルノワールなどと共にフランス郊外の風景画を多く描いた画家。
今回の展示は、場所とテーマに分けて展示されていた。

展示されている絵画を一枚一枚見ている中で印象に残ったのは"ピサロの雲の描き方"
特に気に入ったのこ、この2作品。
左:Jallais Hill, Pontoise. 1867
右:Strollers on a Country Road, La Varenne-Saint-Hilaire .1864
近くで見ても、今にも動き出しそうな自然の息遣いが感じられた。
今は同じ場所はどうなっているのか?
もし同じ場所で、のどかな風景と流れ行く雲が見られたら素敵だな、そんなことを切に願いたくなる作品でした。

2007年7月20日金曜日

円周率の音楽

これは芸術だ。

0から9の数字それぞれを音符と見立て、円周率を演奏するサイトがある。

ピアノソロバージョン
ピアノ、バス、フルートバージョン

他にも色々刺激ある情報があるので、インスピレーションが必要な時にどうぞ。
「primarily ART STUFF」

2007年7月18日水曜日

今の自分はどう映っているのか

レンブラントという画家は、光と闇を巧みに描いた画家として有名だが(代表作:「夜警」)、生涯にわたり自画像を50枚以上描いた画家としても有名である。

そんな彼の自画像を見ると、顔という視覚的な情報以上の何か、思いや野望、あるいは悲しみなどが見えてくる。

下記HPでレンブラントの23歳から63歳までの自画像が一覧で見ることが出来る。

ちなみに、あと数年もすると私も34歳になる。
レンブラント34歳の顔は、


である。
私はその時、どんな表情をしているのだろうと。。。つい考えてしまう。
とりあえず、現状を知るために、現在の自画像をこっそり描いて見たいと思う。
ちなみに、名古屋ボストン美術館で、9月8日~12月9日の間、
が開催日される。 今から楽しみである。

2007年7月16日月曜日

写真に納まる決定的瞬間


東京国立近代美術館で開催されている、
アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌
"De qui s'agit-il?" Retrospective de Henri Cartier-Bresson
を訪問。

雑誌Penの7/1号(No.201)で特集として取り上げられたこともあり、大変の人だかりだった。

ちなみに、アンリ・カルティエ=ブレッソンとは20世紀を代表する写真家の1人。
1947年にロバート・キャパ、デヴィッド・シーモア、ウィリアム・ヴァンダイヴァー、ジョージ・ロジャーらとともに、写真家の権利と自由を守り、新聞社や出版社と対等に仕事をするため「マグナム・フォト」を設立。
1952年に発売した写真集『決定的瞬間』で有名である。
ちなみに、青年時代はシュルレアリスム影響を受け、画家志望であった。

彼の写真の素晴らしさは、その「完璧な構図」と、瞬間に対する「感性」、
だそうです。(※展示解説の受け売りです)


確かに、登場する建物や人、そして影までもがキチンとした構成になっている。
たぶん、黄金比などバランスの取れた構図になっているのだと思う。
絵や写真をやるのであれば、黄金比などの基礎はやはり重要なのだろう。

さて、写真はアンリ・カルティエ=ブレッソンが1930年代から1970年代?の間に世界中を旅して撮影された写真が約450作品公開されていた。

私が今まで訪れた街の写真が何枚もあり、写真を見るといつの間にか過去にタイムスリップした気になる。
特にヨーロッパの町並みや風景は、私が訪れたここ数年と余り大きく変わっていないと思う。
変わったのは唯一そこに登場する人、特に"人の表情"が変わった気がした。
写真ではどの顔にも生きることに一生懸命な表情が並んでいて、無邪気に笑う子供の写真もあるが、大人顔負けで精悍な顔つきの子供もたくさんいた。

もの余りの今、生きるということの大変さ実感する機会が少なくなったのか、街ですれ違う表情はやはりどこか力が足りない。
世の中には変わるべきものと、変わるべきでないものがあるはずだが、現代人の表情には、変わるべきでないものが変わり、大切な何かが失われている感じがする。

変わるべきでないもののひとつ、"生きる力"を感じたいのであれば、是非、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真に触れてみよう。

ちなみに、上に載せた写真は、私が一番気に入ったアンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間です。
1940年代?のニューヨークでの一枚。

2007年7月15日日曜日

訪問予定リスト

今日見たテレビ番組で一度は訪れたい場所が一つ増えたのでブログに書く。
(物忘れが激しいので記憶のアウトソース)

その場所とは、
・メキシコのユカタン半島のセノーテ
透明度が100m以上としてダイビングスポットとして有名な場所。
必ず、訪れます。

ちなみに、当ブログの副題の「ハメリンプール」も訪れる予定の場所。

その他は、「インカ帝国とマチュピチュ」「現存する最古の木造教会、ウルネス教会(ノルウェー)」です。

忙しいな人生は。。。


後、マイナーだが「環境美術」で有名なフィレンツェから約35キロ離れたところにある「チェレ農園-ゴーリ・コレクション」も訪れる予定だ。(※4月中旬から9月のみ公開)

2007年7月14日土曜日

ピクトさんの再評価

なんとなく立ち寄った本屋で、一冊の本が目に入った。

「ピクトさんの本」


どうしても気になったので手にとって開いてみると、そこには世界中で活躍しているピクトさんが紹介されていた。

ピクトさんとは"ピクトグラム(Pictogram)"の略で、いわゆる「絵文字」「絵単語」などと呼ばれ、何らかの情報や注意を示すために表示されるサインのことである。
一番有名どころは、緑色に光る非常口のピクトさんかな!?

目次を見ると一目瞭然だが、

目次:ピクトさんの分類
1 転倒系
2 頭打ち系
3 落下系
4 かけこみ系
5 つまずき系
6 感電系
7 衝突系
8 はさまれ系
9 労働系
10 黒ピクトさん


本当にお疲れ様です。

ちなみに、日本ピクトさん学会なるものが存在するので、訪れてみるとあなたもピクトさんにもう夢中。
何気なく目の前を通り過ぎていたものが、急に意思の中に入ってくるようになった、
インパクトのある本でした。

是非、手にとって見てください。

2007年7月8日日曜日

色彩の神秘

6月は仕事で忙殺された。

仕事を忘れてのびのびと趣味の世界に没頭したのは、国立西洋美術館で開催されている「パルマ―イタリア美術、もう一つの都」だけである。
やっと落ち着いたので、「パルマ―イタリア美術、もう一つの都」のことを書こうとしたら、肝心の展示品リストが家の中で行方不明。見つかったらゆっくり書きたいと思う。

今日は、昨日訪れた千葉市美術館で開催されている「シャガール展」について書きたい。

個人的なシャガールのイメージは真実、そして愛を追い求めた画家。

20世紀前半の作品はキュビズムなどの影響をうけているが、どんどんシャガール独自の世界観を鮮やかな色彩と共に作り出していった画家だと思う。


シャガールが描く絵の色は、シャガールの心、夢や希望、絶望がそのまま反映されている。
そのため、絵を見ているだけでその不思議な色彩感覚の虜にされてしまう。

今回の展示で、一番目を引いた色は、「青い恋人たち」の深い青。
今まで見た青色の中で一番、落ち着いた、またどこか悲しい色をしており、心に深い沈黙をもたらす色で描かれた作品だと思う。
(ちなみに、「青い恋人たち」は宇都宮美術館所蔵です。)





あとは、

「雪の道」日本テレビ放送網所蔵、

「回想」AOKIオールディンス所蔵、

「緑、赤、青の恋人たち(街の上で)」宇都宮美術館所蔵

の作品の色使いが心に残りました。

人間は肌色、影は黒、町の壁はグレーなど、色の固定概念を拭い去り、様々な色を色鮮やかにキャンパスに写すシャガールの絵は、自分の凝り固まった頭をやわらかくしてくれる気がします。



それと、同時開催していた近代日本が展から一点。

松林桂月さんの「春宵花影」がとっても素敵でした。(画像を探しましたがネットでは見つからず断念。)



2007年5月28日月曜日

夜空とタイムマシン

空についてもうひとネタ。

人生、楽しいことばかりではなくむしろ辛いことの方が多い気がする。
そして、辛いことがあると心が沈んでしまう。

そんな時、落ち込んだ心を慰めてくれるのが星が輝く夜空だ。

その光を見ていると、いつも不思議な感覚を覚える。
ご存知のように、光り輝いている星は、目に映って今光っているものではなく、それは何年、何十年、何百年前に輝いた光がたまたま今目に映っているのである。
極端な話、今輝いている星(恒星)は今現在もう存在しないものがあるのかもしれない。

そんなことを考えて、時代を超えた光を見ていると、
今悩んでいることがとても小さく感じられ心が癒される気がする。 (ある意味妄想だが。。。)

夜空を見て時間を超越した気になる。そんなひと時が、心の支えになることもあります。


ちなみに、太陽系に一番近い恒星は、
1位・・ケンタウルス座のプロキシマ星で、1.30パーセク(4.24光年)
2位・・ケンタウルス座アルファ(α)星のA, Bの2星で、1.34パーセク(4.37光     年)
3位・・へびつかい座バーナード星の1.83パーセク(5.97光年)
だそうです。
(参考:近距離恒星の順位

2007年5月27日日曜日

空と雲

テンションを上げるには雲ひとつ無い青空を見上げるのがいい。
空の青さで心も晴れ渡る。

ただ、考え事(妄想)をするときには空に雲がある方がいい。
刻一刻と変わる雲の形をぼーっと眺めていると、色々想像がかき立てられる。

今日は久々に長いこと雲を眺めていた。
やっぱり留まることのできないこの自然に囲まれていることを実感すると、
難しく思い悩んでいることが小さいことに思え、もっと自由に心を解き放つことができる気がしてくる。

もっと心を自由に。これが自己表現をするための心がけかもしれない。

ちなみに、自然と向き合う人間をうまく表現した絵としてお勧めなのが、
以前紹介したカスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「霧の海の上のさすらい人」。
とおる美術館の第52話で紹介されている。

また、実際はドイツのThe Hamburger Kunsthalleに所蔵されている。

是非、訪れてみたいと思う。

2007年5月20日日曜日

幻想美術館を訪れて

少し前になるが、埼玉県立近代美術館でおこなれている-澁澤龍彦 幻想美術館-の展示を訪問。

その時、運よく「シュルレアリスムとは何か」の著者、巌谷国士さんの講演を聞くことができた。

展示を見るため途中退席してしまったが、
冒頭で巌谷国士さんが「そもそも、あるものを好きになること自体、偏愛なんだ」っと言ったせりふが腹に落ちた。

好き嫌いの発想は個人の好みであり、もうその時点で偏っているということだろう。
当たり前ではあるが、愛を偏愛と認めて、大事にすることが重要なのだろう。
(2004年ごろ読んだ「偏愛マップ」について思い出しました)

さて、-澁澤龍彦 幻想美術館-の展示内容に話を戻すと、
偏愛と言うにふさわしい作品がずらりと並べられていて、全てを見終わった感想は正直、気持ち悪くなりました。(悪い意味ではありません)

あまりにも偏った情報がうごめいている世界に足を踏み入れて、自我を保つのが大変だったと表現する方が正しいかもしれません。
とにかく、その圧倒的なまでの偏愛の洗礼を受けました。

私自身の感性で作品全てが受け入れられることはできませんが、今でも印象に残っている絵画は、
サルバトール・ダリの「シュルレアリスティックな時間の眼」(浜松市美術館蔵)です。

勝手な解釈ですが、人は眼を通し何を見つめているのか?
そんなことが問いかけられている感じがして今でも印象に残っています。

さてさて、何を見つめればいいのでしょう。。。頭の中の妄想は続きます。

2007年5月2日水曜日

デッサンについて

ゴールデンウィークにふらっと彦根城を訪れた。
今は彦根城築城400年祭が開催&ゴールデンウィークということもあり、たくさんの人でにぎわっていた。
とりあえず、著作権料が個人・企業を問わず無料で有名な"ひこにゃん"のキャラクターグッズを購入。

その後、天守閣を見学。
そこで一枚の絵を描いてみた。
高校の美術の授業以来の作業で悪戦苦闘。
結果は右の通りです。

(※ちなみに、彦根城を訪れる前に濃尾平野、関ヶ原の絵も描いてみたがそれはお蔵入にしようと思う)



正直、絵の基本をちゃんと勉強しようと思った。

絵を描き、色々なことを表現できるようになるためには基本をしっかり抑えることが重要で、応用はその次。


色々とHPで探ってみたがトイレットペーパー(円柱形)をしっかり描くことにより、基本を身に着けるなどの紹介があったので、まずは基本をしっかり勉強してみようと思う。




ちなみに、彦根城を写真で取るともっと素敵な感じです。


2007年4月22日日曜日

美術史について

普段何気なく訪れていた美術館。
その過去を振り返るために、美術史の本を紐解いてみた。

そこで、いまさらながらはじめて知ったことは、
14世紀イタリアで始まったルネサンス(人間性の解放)を前後して初めて、作品に対し作成者が存在するようになったということ。
それ以前の、ローマ美術、初期キリスト美術、ビザンティン美術、ロマネスク美術、ゴシック美術では優れた芸術作品は存在するが、匿名の職人が作成したものとなっている。
したがって、だれだれの作品が「素晴らしい」と言われるものは全て14世紀ルネサンス以降の作品である。

では、ルネサンス以降はどうか。
そこでは、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義、写実主義、印象主義、象徴主義…と取り上げるテーマ、画法等が移り変わり、現代につながっている。

概観を掴むため、ルネサンスから現代までを駈足で振り返ってみたが、そこで以下の芸術家に心を奪われた。

・レンブラント(1606-1669):自画像を好んで描き続けたがたである。そして自画像を描きながら、外見の美しさではなく、内面的な人間の心を描こうとした画家。
・フェルメール(1632-1675):庶民生活をモチーフに客観的効果を重要視した画家。カメラ・オブスクーラ(暗箱)を使用していたといわれる、現代絵画の遠いパイオニア。
・シャルダン(1699-1779):完璧な構図と色彩や暗明の調和を求めながら静物画や風俗画を描いた画家。
・ウィリアム・ブレイク(1757-1827):目の前の現実ではなく裏の現実(精神世界)を描いた画家。
・カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ(1774-1840):風景をモチーフにしながら、深い精神性を描いた画家。
・ミレー(1814-1875):自然に向かい合い生活している農民の新の姿を描いた画家。

といったところだ。

海外旅行中に訪れた美術館で何気なく目にして気になっていた作品が、知識として頭の中でつながった気がする。

上記は私の個人的メモだが、各芸術家の詳細は別途詳しく勉強し記述する予定である。

2007年4月20日金曜日

続・エントロピーの法則

エントロピーの法則について補足説明。

エントロピーの法則とは、
物質とエネルギーは一つの方向のみに、すなわち使用可能なものから使用不可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた、秩序化されたものから、無秩序化されたものへと変化する
ということ。

ポイントは、「方向が一方方向であるという点」「秩序から無秩序へ向かうという点」である。

つまり、閉じた系で物事を捉えた場合、全ては価値から始まり、絶えず混沌と荒廃へ向かっていくということである。
使用可能なエネルギーを全て使い尽くし、後には混沌とした世界が残る。。。なんか地球の未来を予想しているような。
(※ちなみに悲観的に受け止めることではないと考えています)

ただ、変わらないことの大切さ。本質を見る大切さがを再認識することが大切かと。

そのときに、時間を超越した現実を捉えようとするシュルレアリスムに行き着いたのです。
現実の中の超現実。

その欠片を拾い集めることが、私の絵を書くという意味と思います。

2007年4月19日木曜日

エントロピーの法則

高校時代の物理の時間習って以来、
心から離れない熱力学第2の法則、「エントロピーの法則」。

閉ざされた系においては、その「時間」と「空間」を支配する”見えざる手”なのである。
これが自然の偉大さであり、刹那の夢、、、なのかもしれない。

異常気象、環境問題がニュースで取りざたされているが、
それが今の地球の現実である。

人はもっと、「時間」を越えた価値、変わることのない大切なものに目を向ける時期に近づいている気がする。

実は普段の生活の中でふと感じる自然の怖さ、やさしさ、あたたかさ、
そんな中にシュルレアリスムは微笑んでいるのかもしれない。

2007年4月17日火曜日

神田の古本屋と「美術手帖」

何気なく訪れた神田の古本屋。
目に留まったのはシュルレアリスム特集がされている「美術手帖」。

手にとって見てみると発行が1975年となっていた。
私がちょうど生まれた年である。

私の好きな作家(勉強のために呼んでいる作家)である巌谷 国士も
1976年にはシュルレアリスムについての体系的な本を出版している。

雑誌を眺めながら、1970年代にタイムスリップした気分であった。

自家用車、カラーテレビ、ビデオデッキこの時代は色々な夢が実現し、
バブルに向けての助走期間。

その中でも、時間やお金とは違う価値を見出そうとした動きがあったことはとても新鮮である。

時代の流れとシュルレアリスム。
また、それぞれの人の心に目を向けて美の世界に足を踏み入れて行きたい。

2007年4月11日水曜日

イブ・タンギー

ブルトンにして「最も純粋なシュルレアリスト」と言わしめた、イブ・タンギーの作品が好きになってしまった。
日本ではあまり有名ではないのか、図録すら入手するのが難しい。。。

ここはひとつ、ニューヨークかパリまで足を運んでみようかと思案中である。

日本では、横浜美術館に『風のアルファベット』が展示されている。
まずは、週末にでも訪れてみようと思う。

2007年4月5日木曜日

時間との戦い

今回は、「時間」ということについて考えていきたい。

なぜ「時間」かというと、現在のビジネスを支配していのは「時間」だからだ。例えば、企業が戦略を考えるとき求められるのは「BEST」な答えではなく、「BETTER」な答えである。つまり、競合と比較して一歩、あるいは半歩前に出ていればいいということである。この一歩、半歩とはいわゆる「時間」に関連している。
だから、現在のビジネスを考えるとき重要になるのは「時間」ということになる。普段色々考えていることは、突き詰めると時間の短縮化、時間の有効活用につながるのではないだろうか。
普段の仕事生活を考えると、時間に追われていてなかなかゆとりが取れないのが現状じゃないだろうか。働いても働いても仕事が減らない、終わったと思ったら新しい仕事が振られる。気づいたら「時間」に追われてしまっているということは良くあるが、それはあまり幸せな状態ではない。では、どのように「時間」と付き合えばいいのか。それは、「必要ないことを捨てること」である。捨てることにより始めて時間が確保できるのである。

したがって、会社の戦略しかり、プロジェクトマネージメントしかり、普段の作業タスクしかり、まずは、捨てることから始める必要があるのではないだろうか。

2007年4月4日水曜日

企業戦略で重要な相対感

企業経営で重要なことは、競合他社に対し相対的に優れていること。
戦略立案しかり、提供製品/サービスしかり、すべBESTの答えではなく、BETTERの答えである。
一歩でも、半歩でも競合より優れていることが全てなのだ。

それに比べ、芸術の世界は絶対的な価値観が求められている気がする。
だからこそ、芸術の世界に憧れがある。

では、なぜビジネスの世界では相対的な価値観が求められるのか。
それは全て、時間と言う概念に支配されている世界だからと思う。

人間が時計を開発し、時間を定量的に測れるようにした。
その時から価値観が絶対から、相対に移り変わってしまったのではないだろうか。
時間に追われるビジネスマンを見ているとつくづく思う。
よく言うと時は金なりだが、時間の奴隷と化している現代人の姿がそこにある。
それが現実なのだ。

この現実をどう捉えていこうか。
それが、シュルレアリスムにはじまり、ど素人がアートの世界に足を踏み入れたトリがーである。

2007年4月3日火曜日

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はじめに

このブログを通して、私の中にあるもう1人の自分が目覚めていくことを期待して。

ブログのテーマとしては、仕事と芸術について書く予定である。

今、私が最も惹かれているテーマは【シュルレアリスム】である。
その出会いは高校の美術の教科書、ルネ・マグリット 「大家族」との出会いからはじまった。
続いては、ダリ。
単純にミーハーなのかもしれないが、その映像は心の中に消えない残像を残す。

なぜ惹かれるのか、なぜ心の中に残像が残るのか理由が分からないが、私自身の感性が何かを渇望していることだけは感じれる。
そのため、【シュルレアリスム】についてちゃんと勉強してみることにした。

ちなみに最初に手にとった本は、巌谷國士さんの「シュルレアリスムとは何か」。
ここでまず言葉の定義からスタート。

シュルレアリスムとは「シュール」と「レアリスム」、「超」「現実主義」と解釈される場合が多いと思いますが、実際は「シュルレエル」と「イスム」、「超現実」「主義」と解釈するのが正解である。
個々でポイントになってくるのは「超現実」。
それは、現実の延長線上にある、客観的な世界。(個人的には絶対的な世界な気がしますが。。。)
よく、現実離れしたさまを「シュール」と表現しますが、それは間違った使い方だ。

そして、その世界に到達するためには「オートマティスム」「デペイズマン」ということがキーになるらしい。
「オートマティスム」とはいわゆる自動記述の世界。
そして、「デペイズマン」が私の好きな、ルネ・マグリットやダリが踏み入れた世界。

うーん、私にはまだ難しい内容だ。

今後は私が普段捉えている妄想に照らし合わせながら、もっと深いところに落ちて行きたいと思う。