2007年4月22日日曜日

美術史について

普段何気なく訪れていた美術館。
その過去を振り返るために、美術史の本を紐解いてみた。

そこで、いまさらながらはじめて知ったことは、
14世紀イタリアで始まったルネサンス(人間性の解放)を前後して初めて、作品に対し作成者が存在するようになったということ。
それ以前の、ローマ美術、初期キリスト美術、ビザンティン美術、ロマネスク美術、ゴシック美術では優れた芸術作品は存在するが、匿名の職人が作成したものとなっている。
したがって、だれだれの作品が「素晴らしい」と言われるものは全て14世紀ルネサンス以降の作品である。

では、ルネサンス以降はどうか。
そこでは、バロック、ロココ、新古典主義、ロマン主義、写実主義、印象主義、象徴主義…と取り上げるテーマ、画法等が移り変わり、現代につながっている。

概観を掴むため、ルネサンスから現代までを駈足で振り返ってみたが、そこで以下の芸術家に心を奪われた。

・レンブラント(1606-1669):自画像を好んで描き続けたがたである。そして自画像を描きながら、外見の美しさではなく、内面的な人間の心を描こうとした画家。
・フェルメール(1632-1675):庶民生活をモチーフに客観的効果を重要視した画家。カメラ・オブスクーラ(暗箱)を使用していたといわれる、現代絵画の遠いパイオニア。
・シャルダン(1699-1779):完璧な構図と色彩や暗明の調和を求めながら静物画や風俗画を描いた画家。
・ウィリアム・ブレイク(1757-1827):目の前の現実ではなく裏の現実(精神世界)を描いた画家。
・カスパー・ダーヴィド・フリードリヒ(1774-1840):風景をモチーフにしながら、深い精神性を描いた画家。
・ミレー(1814-1875):自然に向かい合い生活している農民の新の姿を描いた画家。

といったところだ。

海外旅行中に訪れた美術館で何気なく目にして気になっていた作品が、知識として頭の中でつながった気がする。

上記は私の個人的メモだが、各芸術家の詳細は別途詳しく勉強し記述する予定である。

2007年4月20日金曜日

続・エントロピーの法則

エントロピーの法則について補足説明。

エントロピーの法則とは、
物質とエネルギーは一つの方向のみに、すなわち使用可能なものから使用不可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた、秩序化されたものから、無秩序化されたものへと変化する
ということ。

ポイントは、「方向が一方方向であるという点」「秩序から無秩序へ向かうという点」である。

つまり、閉じた系で物事を捉えた場合、全ては価値から始まり、絶えず混沌と荒廃へ向かっていくということである。
使用可能なエネルギーを全て使い尽くし、後には混沌とした世界が残る。。。なんか地球の未来を予想しているような。
(※ちなみに悲観的に受け止めることではないと考えています)

ただ、変わらないことの大切さ。本質を見る大切さがを再認識することが大切かと。

そのときに、時間を超越した現実を捉えようとするシュルレアリスムに行き着いたのです。
現実の中の超現実。

その欠片を拾い集めることが、私の絵を書くという意味と思います。

2007年4月19日木曜日

エントロピーの法則

高校時代の物理の時間習って以来、
心から離れない熱力学第2の法則、「エントロピーの法則」。

閉ざされた系においては、その「時間」と「空間」を支配する”見えざる手”なのである。
これが自然の偉大さであり、刹那の夢、、、なのかもしれない。

異常気象、環境問題がニュースで取りざたされているが、
それが今の地球の現実である。

人はもっと、「時間」を越えた価値、変わることのない大切なものに目を向ける時期に近づいている気がする。

実は普段の生活の中でふと感じる自然の怖さ、やさしさ、あたたかさ、
そんな中にシュルレアリスムは微笑んでいるのかもしれない。

2007年4月17日火曜日

神田の古本屋と「美術手帖」

何気なく訪れた神田の古本屋。
目に留まったのはシュルレアリスム特集がされている「美術手帖」。

手にとって見てみると発行が1975年となっていた。
私がちょうど生まれた年である。

私の好きな作家(勉強のために呼んでいる作家)である巌谷 国士も
1976年にはシュルレアリスムについての体系的な本を出版している。

雑誌を眺めながら、1970年代にタイムスリップした気分であった。

自家用車、カラーテレビ、ビデオデッキこの時代は色々な夢が実現し、
バブルに向けての助走期間。

その中でも、時間やお金とは違う価値を見出そうとした動きがあったことはとても新鮮である。

時代の流れとシュルレアリスム。
また、それぞれの人の心に目を向けて美の世界に足を踏み入れて行きたい。

2007年4月11日水曜日

イブ・タンギー

ブルトンにして「最も純粋なシュルレアリスト」と言わしめた、イブ・タンギーの作品が好きになってしまった。
日本ではあまり有名ではないのか、図録すら入手するのが難しい。。。

ここはひとつ、ニューヨークかパリまで足を運んでみようかと思案中である。

日本では、横浜美術館に『風のアルファベット』が展示されている。
まずは、週末にでも訪れてみようと思う。

2007年4月5日木曜日

時間との戦い

今回は、「時間」ということについて考えていきたい。

なぜ「時間」かというと、現在のビジネスを支配していのは「時間」だからだ。例えば、企業が戦略を考えるとき求められるのは「BEST」な答えではなく、「BETTER」な答えである。つまり、競合と比較して一歩、あるいは半歩前に出ていればいいということである。この一歩、半歩とはいわゆる「時間」に関連している。
だから、現在のビジネスを考えるとき重要になるのは「時間」ということになる。普段色々考えていることは、突き詰めると時間の短縮化、時間の有効活用につながるのではないだろうか。
普段の仕事生活を考えると、時間に追われていてなかなかゆとりが取れないのが現状じゃないだろうか。働いても働いても仕事が減らない、終わったと思ったら新しい仕事が振られる。気づいたら「時間」に追われてしまっているということは良くあるが、それはあまり幸せな状態ではない。では、どのように「時間」と付き合えばいいのか。それは、「必要ないことを捨てること」である。捨てることにより始めて時間が確保できるのである。

したがって、会社の戦略しかり、プロジェクトマネージメントしかり、普段の作業タスクしかり、まずは、捨てることから始める必要があるのではないだろうか。

2007年4月4日水曜日

企業戦略で重要な相対感

企業経営で重要なことは、競合他社に対し相対的に優れていること。
戦略立案しかり、提供製品/サービスしかり、すべBESTの答えではなく、BETTERの答えである。
一歩でも、半歩でも競合より優れていることが全てなのだ。

それに比べ、芸術の世界は絶対的な価値観が求められている気がする。
だからこそ、芸術の世界に憧れがある。

では、なぜビジネスの世界では相対的な価値観が求められるのか。
それは全て、時間と言う概念に支配されている世界だからと思う。

人間が時計を開発し、時間を定量的に測れるようにした。
その時から価値観が絶対から、相対に移り変わってしまったのではないだろうか。
時間に追われるビジネスマンを見ているとつくづく思う。
よく言うと時は金なりだが、時間の奴隷と化している現代人の姿がそこにある。
それが現実なのだ。

この現実をどう捉えていこうか。
それが、シュルレアリスムにはじまり、ど素人がアートの世界に足を踏み入れたトリがーである。

2007年4月3日火曜日

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はじめに

このブログを通して、私の中にあるもう1人の自分が目覚めていくことを期待して。

ブログのテーマとしては、仕事と芸術について書く予定である。

今、私が最も惹かれているテーマは【シュルレアリスム】である。
その出会いは高校の美術の教科書、ルネ・マグリット 「大家族」との出会いからはじまった。
続いては、ダリ。
単純にミーハーなのかもしれないが、その映像は心の中に消えない残像を残す。

なぜ惹かれるのか、なぜ心の中に残像が残るのか理由が分からないが、私自身の感性が何かを渇望していることだけは感じれる。
そのため、【シュルレアリスム】についてちゃんと勉強してみることにした。

ちなみに最初に手にとった本は、巌谷國士さんの「シュルレアリスムとは何か」。
ここでまず言葉の定義からスタート。

シュルレアリスムとは「シュール」と「レアリスム」、「超」「現実主義」と解釈される場合が多いと思いますが、実際は「シュルレエル」と「イスム」、「超現実」「主義」と解釈するのが正解である。
個々でポイントになってくるのは「超現実」。
それは、現実の延長線上にある、客観的な世界。(個人的には絶対的な世界な気がしますが。。。)
よく、現実離れしたさまを「シュール」と表現しますが、それは間違った使い方だ。

そして、その世界に到達するためには「オートマティスム」「デペイズマン」ということがキーになるらしい。
「オートマティスム」とはいわゆる自動記述の世界。
そして、「デペイズマン」が私の好きな、ルネ・マグリットやダリが踏み入れた世界。

うーん、私にはまだ難しい内容だ。

今後は私が普段捉えている妄想に照らし合わせながら、もっと深いところに落ちて行きたいと思う。