空についてもうひとネタ。
人生、楽しいことばかりではなくむしろ辛いことの方が多い気がする。
そして、辛いことがあると心が沈んでしまう。
そんな時、落ち込んだ心を慰めてくれるのが星が輝く夜空だ。
その光を見ていると、いつも不思議な感覚を覚える。
ご存知のように、光り輝いている星は、目に映って今光っているものではなく、それは何年、何十年、何百年前に輝いた光がたまたま今目に映っているのである。
極端な話、今輝いている星(恒星)は今現在もう存在しないものがあるのかもしれない。
そんなことを考えて、時代を超えた光を見ていると、
今悩んでいることがとても小さく感じられ心が癒される気がする。 (ある意味妄想だが。。。)
夜空を見て時間を超越した気になる。そんなひと時が、心の支えになることもあります。
ちなみに、太陽系に一番近い恒星は、
1位・・ケンタウルス座のプロキシマ星で、1.30パーセク(4.24光年)
2位・・ケンタウルス座アルファ(α)星のA, Bの2星で、1.34パーセク(4.37光 年)
3位・・へびつかい座バーナード星の1.83パーセク(5.97光年)
だそうです。
(参考:近距離恒星の順位)
2007年5月27日日曜日
空と雲
テンションを上げるには雲ひとつ無い青空を見上げるのがいい。
空の青さで心も晴れ渡る。
ただ、考え事(妄想)をするときには空に雲がある方がいい。
刻一刻と変わる雲の形をぼーっと眺めていると、色々想像がかき立てられる。
今日は久々に長いこと雲を眺めていた。
やっぱり留まることのできないこの自然に囲まれていることを実感すると、
難しく思い悩んでいることが小さいことに思え、もっと自由に心を解き放つことができる気がしてくる。
もっと心を自由に。これが自己表現をするための心がけかもしれない。
ちなみに、自然と向き合う人間をうまく表現した絵としてお勧めなのが、
以前紹介したカスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「霧の海の上のさすらい人」。
とおる美術館の第52話で紹介されている。
また、実際はドイツのThe Hamburger Kunsthalleに所蔵されている。
是非、訪れてみたいと思う。
空の青さで心も晴れ渡る。
ただ、考え事(妄想)をするときには空に雲がある方がいい。
刻一刻と変わる雲の形をぼーっと眺めていると、色々想像がかき立てられる。
今日は久々に長いこと雲を眺めていた。
やっぱり留まることのできないこの自然に囲まれていることを実感すると、
難しく思い悩んでいることが小さいことに思え、もっと自由に心を解き放つことができる気がしてくる。
もっと心を自由に。これが自己表現をするための心がけかもしれない。
ちなみに、自然と向き合う人間をうまく表現した絵としてお勧めなのが、
以前紹介したカスパー・ダーヴィド・フリードリヒの「霧の海の上のさすらい人」。
とおる美術館の第52話で紹介されている。
また、実際はドイツのThe Hamburger Kunsthalleに所蔵されている。
是非、訪れてみたいと思う。
2007年5月20日日曜日
幻想美術館を訪れて
少し前になるが、埼玉県立近代美術館でおこなれている-澁澤龍彦 幻想美術館-の展示を訪問。
その時、運よく「シュルレアリスムとは何か」の著者、巌谷国士さんの講演を聞くことができた。
展示を見るため途中退席してしまったが、
冒頭で巌谷国士さんが「そもそも、あるものを好きになること自体、偏愛なんだ」っと言ったせりふが腹に落ちた。
好き嫌いの発想は個人の好みであり、もうその時点で偏っているということだろう。
当たり前ではあるが、愛を偏愛と認めて、大事にすることが重要なのだろう。
(2004年ごろ読んだ「偏愛マップ」について思い出しました)
さて、-澁澤龍彦 幻想美術館-の展示内容に話を戻すと、
偏愛と言うにふさわしい作品がずらりと並べられていて、全てを見終わった感想は正直、気持ち悪くなりました。(悪い意味ではありません)
あまりにも偏った情報がうごめいている世界に足を踏み入れて、自我を保つのが大変だったと表現する方が正しいかもしれません。
とにかく、その圧倒的なまでの偏愛の洗礼を受けました。
私自身の感性で作品全てが受け入れられることはできませんが、今でも印象に残っている絵画は、
サルバトール・ダリの「シュルレアリスティックな時間の眼」(浜松市美術館蔵)です。
勝手な解釈ですが、人は眼を通し何を見つめているのか?
そんなことが問いかけられている感じがして今でも印象に残っています。
さてさて、何を見つめればいいのでしょう。。。頭の中の妄想は続きます。
その時、運よく「シュルレアリスムとは何か」の著者、巌谷国士さんの講演を聞くことができた。
展示を見るため途中退席してしまったが、
冒頭で巌谷国士さんが「そもそも、あるものを好きになること自体、偏愛なんだ」っと言ったせりふが腹に落ちた。
好き嫌いの発想は個人の好みであり、もうその時点で偏っているということだろう。
当たり前ではあるが、愛を偏愛と認めて、大事にすることが重要なのだろう。
(2004年ごろ読んだ「偏愛マップ」について思い出しました)
さて、-澁澤龍彦 幻想美術館-の展示内容に話を戻すと、
偏愛と言うにふさわしい作品がずらりと並べられていて、全てを見終わった感想は正直、気持ち悪くなりました。(悪い意味ではありません)
あまりにも偏った情報がうごめいている世界に足を踏み入れて、自我を保つのが大変だったと表現する方が正しいかもしれません。
とにかく、その圧倒的なまでの偏愛の洗礼を受けました。
私自身の感性で作品全てが受け入れられることはできませんが、今でも印象に残っている絵画は、
サルバトール・ダリの「シュルレアリスティックな時間の眼」(浜松市美術館蔵)です。
勝手な解釈ですが、人は眼を通し何を見つめているのか?
そんなことが問いかけられている感じがして今でも印象に残っています。
さてさて、何を見つめればいいのでしょう。。。頭の中の妄想は続きます。
2007年5月2日水曜日
デッサンについて
ゴールデンウィークにふらっと彦根城を訪れた。
今は彦根城築城400年祭が開催&ゴールデンウィークということもあり、たくさんの人でにぎわっていた。
とりあえず、著作権料が個人・企業を問わず無料で有名な"ひこにゃん"のキャラクターグッズを購入。
その後、天守閣を見学。
そこで一枚の絵を描いてみた。
高校の美術の授業以来の作業で悪戦苦闘。
結果は右の通りです。
(※ちなみに、彦根城を訪れる前に濃尾平野、関ヶ原の絵も描いてみたがそれはお蔵入にしようと思う)
今は彦根城築城400年祭が開催&ゴールデンウィークということもあり、たくさんの人でにぎわっていた。
とりあえず、著作権料が個人・企業を問わず無料で有名な"ひこにゃん"のキャラクターグッズを購入。
その後、天守閣を見学。
そこで一枚の絵を描いてみた。
高校の美術の授業以来の作業で悪戦苦闘。
結果は右の通りです。
(※ちなみに、彦根城を訪れる前に濃尾平野、関ヶ原の絵も描いてみたがそれはお蔵入にしようと思う)
正直、絵の基本をちゃんと勉強しようと思った。
絵を描き、色々なことを表現できるようになるためには基本をしっかり抑えることが重要で、応用はその次。
色々とHPで探ってみたがトイレットペーパー(円柱形)をしっかり描くことにより、基本を身に着けるなどの紹介があったので、まずは基本をしっかり勉強してみようと思う。
ちなみに、彦根城を写真で取るともっと素敵な感じです。
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