2007年5月20日日曜日

幻想美術館を訪れて

少し前になるが、埼玉県立近代美術館でおこなれている-澁澤龍彦 幻想美術館-の展示を訪問。

その時、運よく「シュルレアリスムとは何か」の著者、巌谷国士さんの講演を聞くことができた。

展示を見るため途中退席してしまったが、
冒頭で巌谷国士さんが「そもそも、あるものを好きになること自体、偏愛なんだ」っと言ったせりふが腹に落ちた。

好き嫌いの発想は個人の好みであり、もうその時点で偏っているということだろう。
当たり前ではあるが、愛を偏愛と認めて、大事にすることが重要なのだろう。
(2004年ごろ読んだ「偏愛マップ」について思い出しました)

さて、-澁澤龍彦 幻想美術館-の展示内容に話を戻すと、
偏愛と言うにふさわしい作品がずらりと並べられていて、全てを見終わった感想は正直、気持ち悪くなりました。(悪い意味ではありません)

あまりにも偏った情報がうごめいている世界に足を踏み入れて、自我を保つのが大変だったと表現する方が正しいかもしれません。
とにかく、その圧倒的なまでの偏愛の洗礼を受けました。

私自身の感性で作品全てが受け入れられることはできませんが、今でも印象に残っている絵画は、
サルバトール・ダリの「シュルレアリスティックな時間の眼」(浜松市美術館蔵)です。

勝手な解釈ですが、人は眼を通し何を見つめているのか?
そんなことが問いかけられている感じがして今でも印象に残っています。

さてさて、何を見つめればいいのでしょう。。。頭の中の妄想は続きます。

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