2008年2月24日日曜日

シャガールの「白い虹」

白い虹を見たことがあるのだろうか?

私は、ニースのシャガール美術館で出会うことができた。
「Noé et l’arc-en-ciel (ノアと虹)」


緑がかったキャンバスにそれははっきりと強く描かれていた。
意識が白い虹に集中する。
今まで見たどの虹より、虹らしく見えるのがなぜか分からずにたたずんでしまった。
色のグラデーションが綺麗で見とれていたはずの虹が、白であることの方が素敵だと思える。
そんな心の反応がなぜか心地よかった。

昔から虹は7色と思い込みがある。
でも、本当は白い虹を望んでいる自分がいたのだろう。
それが、一枚の絵を見ることにより隠れた思いが心の中から湧き出してきのだ。
だから心地いい気分になったのだと思う。

色を自在に操るシャガールはきっと、心の色を絵として表現するのが得意な人だったのだとつくづく思った。

ちなみに、検索で「白い虹」と調べると、実際の自然現象としての情報がたくさん出てきた。
もし、出会えたら自分はどう思うのか?今から待ちどうしい気分になった。

Jaume Plensa(ジャウメ・プレンサ)の衝撃

仕事でニースを訪れたタイミングでニース現代美術館を訪問。
ちょうど、Jaume Plensaの展示が開催されていたため、彼の作品に触れることができた。

その出会いは本当に衝撃だった。
魂が揺さぶられたのだ。その中で一番魂を揺さぶった作品が「Overflow 2007」。

文字、言葉がつなぎ合わされることにより、ひざを組んでたたずむ人の形になっている作品だ。
影も、文字としてその存在を誇示している。そんな作品である。
人間とは本質的に何なのか。そんな問いに向き合える作品だ。
人が発言した言葉の内容から、その人とはどんな人物なのか自分の頭の中に創り出す。
そう考えると、人は言葉により創り上げられた存在と理解できる。
言葉が全てではないが、言葉により形が与えられるものが存在する。
そんなことを気づかせてくれた作品だ。

もう一つ作品を紹介。
「Semen-Blood, 1999/Sex-Religion, 2005/Love-Hate, 2005/Saint-Sinner, 2005/Matter-Spirit, 2005Bronze, corde, bois, laine, Diametre : 130cm chacun et Self Portrait with Seas, 2006, marbre blanc fondu」
音を鳴らすまでがこの作品の特徴。
それぞれの円には文字が刻まれている。
それを叩く、音が部屋中に響き渡る。その瞬間その部屋が荘厳な空気に変わる。
この空間を共有しているのは、ひざを抱ええ座っている作品と私。
そして、その間には響き渡る音。まるで作品と交信している気になり、違う世界へ連れ出された気分になった。

それと、マセナ広場(place Masséna)には、2004年のアートプロジェクトで作られたJaume Plensaの作品が並んでいた。
それは、人々が集うその場所を彩とりどりに輝くことにより、景色に花を添えていた。
ニースを訪れたのは8年振りということもあり、この近代化された空間は新鮮に映った。ただ心には違和感はなく、素直に景色が入り込んできた。
つい最近読んだ、「犬と鬼 知られざる日本の肖像」(アレックス・カー著)で訴えている、文化とは、歴史とは、そして現代、近代化とは何か。日本が京都を代表にその本来の美しい姿を近代化という名の下に無残にも壊している現状と、このマセナ広場の現状は異なっている。
人間が過去の上に作り出した空間が今後、未来に対してどのようなメッセージを残していくのか。街づくりと現代美術の関係について持つ思想の大切さを思い知らされた。
これからの人生、Jaume Plensaの作品にもっともっと出会っていきたい。。